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では、ガンガン告知していきます。まずは「教育関係のコミュ」発足します。

[新コミュニティ発足]

では、ガンガン告知していきます。

まずは「教育関係のコミュ」発足します。

 

Doモ。

 

まあ、これからガンガン攻める

積極的スタイルのアタルと化しますので、

別についてこれない人はついてこなくて良いです。

好きなもんだけ関わってね。

 

なんつっても、わたくしやりたいことだらけなので、

もはや付き合ってくれる人が皆無ですし、

まあ、わたくしのライフスタイルに合わせられるのは、

 

それこそ相当人生が豊かな人か、
ニートかのどっちかしか該当しないので、

まあ、大体の人達はどっちにも該当しないので、

 

たまに、興味のあることに関わっていただければ、

まあ、それだけでも嬉しいなって事ですので。

 

で。

 

今回は、

 

教育関係のコミュを発足します。

 

まあ、一概に「教育」と言っても、

かなり定義によって、考え方や主義主張が
真逆になったりするのが当たり前のジャンルが、

 

この「教育」ってやつでして。

 

そもそも「自立を促す」っていう

この言葉ひとつとっても、

議論の余地が絶えないっていうか。

 

例えば「楽しめ」って誰かに言われた時点で、

楽しめないだろ問題ってのが

わたくしの中にありまして、

 

これと同じで、

 

「自立を促す教育」ってのも、

結構矛盾しちゃってるっていうか。

 

自立を他人が促す時点で、

それは果たして自立と言えるのだろうか。。。的な。

 

そのくらい、アタル式教育論ってのは、

結構しつこいっていうか、写輪眼との対決みたいな、

 

「エセ教育」という幻術との戦いみたいな事なので。

 

まあ「教育」ってのは一歩間違えれば
すぐに「洗脳」になってしまうのが、

教育って分野でして、

 

わたくしも含め大体の人達が、

「教育」と定義しておきながら、

やってることは「洗脳」の域を
離れられないなんて事は多々あるっていうか、

ほとんどそうなっちゃっている訳で。

 

だからこそ、このコミュニティを作って、

どこまで

 

「実質的で本質的な教育を実現できる

 環境を創れるか、提供できるか。」

 

って事を徹底的に議論して、

実現に向けてチャレンジできるっていう活動のできる

コミュニティを創りたいんですね。

 

なので、基本的にこれは

ビジネスが目的ではありません。

 

なんかしらの活動をする時には

お金が動く可能性もありますが、

そういうのは二の次。

 

とにかく、「実質的で本質的な教育とは何かっていう追求」

そして「その実現のための追求」っていう

この2つがメインの目的です。

 

で、結構この「実質的」って部分にこだわってまして、

ってのも、「実質的」という言葉の意味は、

 

「形式的」って事ですけど、「反形式的」ってのが

「実質的」とも言えますわな。

 

もうね、いらないんですよ。「形式的な理想の教育論」なんて。

それこそ、ここ数十年。議論されてきたというか

語られてきた「本質的教育論」って、

 

なんか、机上の空論的な、

「じゃあそれやってみろよ。」って言われてやってみたら、

大概というか100%しょっぱい結果に終わるっていう。

 

だけどね、理屈の世界の中ではなんだか、

それが新しい世の中を作っていけそうな

画期的な脅威行く論だったりするって言う。

 

その典型的で一番有名な新教育手法が、

例の「ゆとり教育」ってやつで、

 

あれこそ

「形式的な理屈の世界では良いとされたけど、

実際やってみたらとんでもねー方向にOBしちまったクソ教育」

 

って事でしょ?って言いたいんだけど、

実は違う気もするっていうか。

まあそのあたりは、「全体の教育」か「個の教育」なのかによって、

成功したのか、失敗したのかも見方が変わる気がします。

 

個人的には「ゆとり教育」って

「全体の教育としてはしょっぱい結果に終わった。」けど、

「この教育としては成功例もいくつかみられるんじゃないのかな」

 

っては気はしますけどね。

なので、「教育」って一言でいうと、

なんかしら「教育的なイメージ」が

人それぞれに喚起されるんだけど、

 

「人生」みたいな言葉でそれって

人それぞれの解釈になるので、

「教育」ってものを論じ合うのって

すげー難しい気がするっていうか

難しいのだと思います。

 

で、わたくしの思う「教育」の成功ってのは何かっていうと、

 

いわゆるひとつの、

 

エネルゲイアっていうかエンテレケイアっていうか、

そのあたりの事を語りだしても結局は

実質的ではないかもしれないのですが、

 

言い方なんてなんでもよくって、

 

その人間の持っている「世界に一つだけの花の開花」のために、

近づく何か(きっかけ?刺激?)を与えることを、

 

教育

 

と定義しているっていうなんていうか。

 

まあ難しいんですわな。もし↑だとしても、

刺激を与えすぎれば、それは教育の範囲を超えて、

洗脳だったり強制だったりする可能性が

すぐに生まれてしまうっていう

 

危険が孕んでいて、さらに言ってしまえば、

その「刺激の度合い」が人によっても違うっていう。

 

ある人間に対しては「5の強度の刺激」が

ちょうど良い教育となりうる場合、

他の人にはその「5の強度の刺激」が

洗脳になってしまったりっていう。。。

 

もうここが難しい。

 

だから、学校教育なんてものが、

それこそ意味がないというよりも、

害にしかならない可能性が高いのは

このためであるっていうかまあそんな感じ。

 

まあ、そもそも今の時代の

「学校教育」なんてものは、

「教育」でもなんでもないのだけれど。

 

それはわたくしの定義する「

教育」っていう意味においてね。

それこそ学校で教師面だけは

一丁前の公務員共からすれば、

「教育」の定義ってのは

映画MATRIX的のMATRIXシステム的なものを

「教育」と定義しているのだろうから、

 

わたくしの言うところの、

 

その人間の持っている

世界に一つだけの花の開花」のために、

近づく何か(きっかけ?刺激?)を与える

 

的な要素など、

またく含まれていない可能性すら

あるかもしれません。

 

「テストで高得点とる事 = エネルゲイア

 

と考えている頭の悪い自称教師という名の公務員共が

どれだけ今はびこってるか知りませんけど、

 

もう、ふつーに「学校教育」というシステムは、

なんだかもう訳の分からない、

ものに漬け込まれているだけで、

 

「自分の生命の目的」などというものに出会うための

一助になどまったくなっていない

わたくしは思いますけどね。

 

まあ、「教育」という責任を、他人に委ねてしまう

その浅はかさからくる悲劇だと思います。

 

これは子どもに限らず、

大人になっても同じ事が言えます。

 

結局は「依存した時点でそいつの人生Gameover」だって事なのだと思います。

 

なので依存という名のGameoverのベクトルではなく、

世界に一つだけの花の開花」のためのベクトル

 

このベクトルを

強くするためには

どうしたら良いのか?

 

これを議論し合い、実現に向けて何かしらチャレンジしていくコミュニティが、

 

アタルの実践教育コミュニティ

 

だって事です。

 

まあ、価値観というか思想が似ている方、

この記事の内容に共感なり賛同なり出来る方で、

 

「教育」に関して、

自分にも他人にも厳しく、

研鑽し合って、より良いもの創り出したい、

生み出したいって方は、

是非このコミュニティの一員になって、

 

それこそ実質的で本質的な日本の教育改革の

一因になってくれれば之幸いで御座います。

 

って事で、

 

アタルの実践教育コミュニティ

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(少なくともこちらの登録に関しては無料&

なんも取られもしないし請求もされないのでご安心を)

 

※何度も言いますが、この記事よく読んでみて共感できる、

何か実際に教育の事をやってみたいって人はご登録を。

(わたくしの教育論と真逆の簡単に言うと
「学歴主義」的な方は求めてないのでそこだけはご注意&ご了承ください。)